「努力する・しない」の前に考えたいこと ―認知コストという視点ー

「最近の子どもは反復練習が足りない」「もっと努力を」VS「無理に頑張らなくていい」という声も。本質的な問題は努力する・しないではありません。避けるべきは、つまずきを見ないまま「やればできる」と非効率な方法を繰り返させ、結果的に自己効力感を削ること。今回は、「努力する・しない」「反復練習する・しない」の二択の前に本来知っておかないといけない「認知コスト」の話です。
川﨑聡大 2026.08.23
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「頑張る」を、認知コストから考えてみる

「頑張る/頑張らない」だけでは見えないもの

「夢に向かって努力する」
「ひたむきに頑張る」

どちらも、いい言葉だと思います。実際、努力しなければ届かないこともありますし、何かを続ける力が人を支えることもあります。万能な学習方法や指導方法なんて存在しません。それぞれ一長一短、あうあわない(人)があります

ただ、さらに少し気になることがあります。

私たちは「頑張った結果、できた」という成功には注目しても、その成功の陰で、どれくらいの負荷を引き受けていたのかを見落としがちではないでしょうか。

逆に最近は、その反動のように「頑張らなくていい」という言葉もよく聞きます。

もちろん、自分を壊して迄無理をし続ける必要はありません。でも、「頑張ることが悪い」「頑張らないことが正しい」と単純にひっくり返してしまうのも、少し違う気がします。

大切なのは、頑張ったか、頑張らなかったかではなく、

その人が、何にどれくらいのコストを払っているのか。

今日は、このことを少し「認知コスト」という視点から考えてみます。

たとえば、同じ文章を読んで内容を理解できた二人がいたとします。

一人は、文字を読むこと自体にはほとんど意識を使わず、内容を考えることに多くの力を使える。もう一人は、一文字ずつ確認しながら、読み間違えないよう注意を向け続けて、ようやく内容までたどり着く。

結果だけを見れば、どちらも「読めた」です。

でも、その過程で使った認知資源はまったく同じではありません。

ここで大事になるのが、認知コストという見方です。

人が何かをするときには、注意したり、覚えておいたり、考えたり、不要な反応を抑えたりと、さまざまな認知的な資源を使っています。ある処理に多くの資源を使えば、その分だけ、別のことに使える余力は少なくなります。

読むことに多くの力を使えば、内容を理解したり、考えたりするための余力が減る。

書くことに多くの力を使えば、何を書くかを考える余力が減る。

集中し続けることに大きな力を使えば、その場ではできていても、終わったあとに大きく疲れることもあります。

だから、「できている」ことと、「無理なくできている」ことは同じではありません。

学習支援で見るべきなのは、結果だけではありません。

どこで負荷が上がっているのか。
何に多くの資源を使っているのか。
終わったあとに、どれくらい余力が残っているのか。

支援とは、単に「できるようにする」ことだけではなく、同じことを、より少ない認知コストでできるようにすることでもあります。

この視点を持つと、読み書きの苦手さも、注意の問題も、合理的配慮も、少し違って見えてきます。

「できるか」だけではなく、
「どれくらいのコストで、それをやっているのか」

そこまで見ることが、学習の困難さを理解する第一歩なのだと思います。

低いコストでできることは、「ずる」ではない

認知コストの話をすると、ときどき少し不思議な反応があります。

楽にできる。
少ない努力でできる。
何かの助けを使ってできる。

そう聞くと、どこか「ずるをしている」「ちゃんと頑張っていない」ように感じてしまう。

でも、本来、学習とはできなかったことを、より少ないコストでできるようにしていく過程でもあります。

最初は一文字ずつ読んでいた文字が、やがて意識しなくても読めるようになる。
指を使って計算していたものが、すぐに答えられるようになる。
一つひとつ確認しながらしていたことが、自然にできるようになる。

これは「楽をするようになった」のではありません。

できるようになった=スキルの発達なのです。

このことを押さえたうえで、認知コストを考えてみます。

認知コストを見るときに、まず大事なのは、結果だけでは負荷の大きさは分からないということです。

同じ課題ができた。
同じ点数を取った。
同じ時間、授業に参加できた。

表面上は同じように見えても、そこに至るまでに必要だった努力や注意、緊張、疲労は同じとは限りません。

ある人にとっては、ほとんど意識せずにできることでも、別の人にとっては、いくつもの処理を意識的に動かし続けなければならないことがあります。

たとえば、授業中に先生の話を聞く場面を考えてみます。

先生の話を聞きながら、板書を読み、必要な部分を書き写し、前に習ったことと結びつけて理解する。

私たちはこれを一つの「授業を受ける」という行為として見ていますが、実際にはいくつもの処理が同時に動いています。

話を聞き取る。
必要な情報に注意を向ける。
少しのあいだ覚えておく。
ノートを書く。
周囲の刺激を無視する。
意味を考える。

これらの一つひとつに大きなコストがかかれば、全体として使える余力は当然少なくなります。

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