「読めている」の内側を測る― 成人の読み書き困難感と自律神経反応から考える学習のコスト ―川﨑レター・ラボ #01
短い検査課題をクリアできたら、「問題なし」なのか
今回のレターでは、先日 Scientific Reports に採択された私たちの論文、“A Pilot Study of Subjective Difficulty and Vagal Responses during Adult Reading Fluency” を取り上げます。大学生を対象に、黙読の流暢性、本人が感じている読み書きの困難さ、そして課題中の自律神経反応を同時に測定した、小規模なパイロット研究です。
この研究を始めた背景には、以前から私が読み書きの評価について感じていた、ある素朴な疑問があります。読み書きの評価では、短い時間の中で、どれくらい正確に、あるいは速く課題をこなせるかを見ることがあります。もちろん、それ自体は大切な情報です。
ただ、私は以前から一つ気になっていました。
1分、長くても数分程度の課題を、その場で頑張ってクリアできたら、「この人は問題なく読めています」と言ってよいのだろうか。
今回の研究で用いた黙読課題も、短い文を読みながら意味の正誤を判断し、一定時間内にどれだけ読めるかを見る流暢性課題です。
こうした課題で十分な成績が取れれば、少なくとも行動上は「読めている」と評価されます。
でも、そこには一つ抜け落ちやすいものがあります。
その成績を、どれくらいのコストで出したのか。
ほとんど負荷なくできた人と、注意や努力をかなり使って何とか同じところまで到達した人が、同じ「できた」にまとめられてしまう。
短時間なら踏ん張れる。
試験だから集中できる。
これまでの経験から、自分なりのやり方も身につけている。
そういう人ほど、検査の上では「問題なし」になりや少なります。
つまり少し皮肉なことに、頑張って代償できるようになった人ほど、その頑張りによって困難が見えにくくなる。頑張ったひとほど「ほらもっと頑張ればできる」といわれ「頑張らないからできない」が場合によっては刷り込まれる。これは、大学生や成人の読み書きを考えるときに、とても重要な問題だと思っています。子どもの頃には苦労していた人でも、学習経験を重ねる中で、自分なりの読み方を身につけ、得意な能力で補い、表面的なパフォーマンスを上げていきます。今回の論文でも、大学生という対象では、こうした機能的な代償によって困難が見えにくくなっている可能性を指摘しています。
そして、もう一つ考えておきたいことがあります。
読み書きに求められる役割そのものも、ライフステージによって変わっていくということです。
文字を正確に読めるようになることが大きな課題である時期もあれば、長い文章を読み、必要な情報を選び、自分の考えをまとめ、さらにそれを文章として表現することが求められる時期もあります。
それなのに、年齢が上がっても「読めるか、読めないか」だけを見続けていてよいのだろうか・・・。*この点に関しては次回話します
「できるようになった」ことと、「負荷がなくなった」ことは同じではありません。
そして、読み書きに求められるものが変われば、見るべき困難の形も変わるはずです。
この疑問が、私自身、読み書きの研究で行動上の成績だけではなく、精神的な負荷やストレス、さらには身体の反応にも関心を持つようになったきっかけの一つでした。
そこで今回、どれくらい読めたかという行動だけでなく、本人がどれくらい困難を感じているかという主観、そして黙読中に身体がどのような調整をしているかという生理反応も一緒に見てみることにしました。
知りたかったのは、
「読めるか」ではなく、
「その人は、どんなコストを払って読めているのか」
ということです。
文献:Kawasaki, A., Matsuzaki, Y., & Takahashi, T. (2026). A pilot study of subjective difficulty and vagal responses during adult reading fluency. Scientific Reports. https://doi.org/10.1038/s41598-026-68649-6
「できた」の内側を見る ―行動・主観・生理の3つの窓
では、「どれくらい読めたか」だけでは見えないものを、どうやって調べればよいのでしょうか。
今回の研究では、読みの状態を一つの指標だけで判断するのではなく、行動・主観・生理反応という3つの窓から見てみることにしました。
一つ目は、当然ながら行動としての読みです。
今回は、大学生向けの読字・書字評価法RaWF(Reading and Writing Fluency task)の黙読課題を使用しました。短い文章を読み、その内容が正しいかどうかを判断しながら、1分間にどれだけ文字を読み進められるかを見る課題です。
つまりここで見ているのは、文章を深く理解できるかという読解力そのものではなく、成人の黙読流暢性です。
これは、いわば「外から見える読み」です。
どれくらい進めたのか。
どれくらいの速さで処理できたのか。
読み書きの評価では、まずここを見る必要があります。
ただし、先ほど書いたように、同じところまで読めたとしても、その過程が同じとは限りません。
そこで二つ目に見たのが、本人が感じている読み書きの困難さです。
こちらにはRaWSN(Reading and Writing Support Needs Scale)を用いました。今回の研究では、診断やスクリーニングのために線を引くのではなく、「読むことをどのくらい困難に感じているか」「書くことをどのくらい困難に感じているか」を連続的な個人差として扱っています。
ここが結構大事です。行動課題で十分な成績が取れていたとしても、本人まで「困っていない」とは限りません。むしろ成人になるほど、行動上の成績と本人の経験がずれてくる可能性があります。
時間をかければできる。
自分なりの方法を使えばできる。
短時間なら集中して乗り切れる。
そうやってパフォーマンスを保っている人の困難は、結果だけを見ていると見えにくくなります。だから今回は、本人が経験している困難そのものも、一つの重要な情報として扱いました。
そして三つ目が、今回の研究で少し変わったところです。
読み課題をしているとき、身体の側では何が起きているのか。
その手がかりとして、自律神経活動を測定しました。
具体的には心拍変動(HRV)の指標の一つであるpNN50を使っています。pNN50は、連続する心拍間隔の変動から算出される指標で、副交感神経、特に迷走神経系の調整を反映する指標の一つとして用いられています。
ただし、ここは誤解してほしくないところです。pNN50は「ストレスメーター」ではありません(*結構自律神経反応を簡単にストレスやリラックスと結び付ける人がいますがお勧めしません)。
値が低いから「この人はストレスを感じている」、高いから「リラックスしている」と単純に読み替えることはできません。
今回見たかったのは、安静時と黙読課題中を比べたときに、自律神経の調整がその人の中でどう変化するかということでした。
つまり私たちは、「ストレスを直接測った」というより、読みという課題に取り組むとき、身体の調整にどのような個人差が現れるのかを探索的に見たわけです。論文でも、pNN50をストレスそのものの直接指標とはせず、読みに伴う内的なmental costに関連する迷走神経・自律神経調整の探索的指標として位置づけています。
こうして
どれくらい読めたか ―行動
どれくらい困難だと感じているか ―主観
そのとき身体がどう調整しているか ―生理
という3つを並べてみました。
ここで強調しておきたいのは、今回この3つを組み合わせたからといって、「学習のコスト」を直接測定できたわけではないということです。そんな便利な一本の物差しは、今のところありません。むしろ私たちがやりたかったのは逆です。
一つの指標だけで「この人は大丈夫」と決めないこと。
行動上はできている。
でも、本人は困っているかもしれない。
あるいは課題を遂行するとき、身体の調整の仕方が他の人とは違うかもしれない。
それぞれを別の窓から眺めることで、「できた」という結果の内側を少し立体的に見ようとしました。
そして、実際に測ってみると・・・・・・
まず平均値では、意外なほど何も起きていないように見えました。
ここからが、この研究のちょっと面白いところです。
まず、自律神経反応はどうだったのか
今回、安静時と黙読課題中のpNN50を比較しました。
安静時の平均は15.21、黙読課題中は12.77でした。課題中にやや低下していましたが、その差は統計的に有意ではありませんでした(t(30)=1.47, p=.15, d=.21)。
つまり、黙読によって参加者全体のpNN50が一様に低下した、とは言えませんでした。
(さらに続きます)
こちらは川﨑個人のレターです。ディープに発信してますのでご興味のある方は是非!